小学校へあがる春だった。
「動物園が、あるよ」
真夏の夜の人間動物園(DPZ)より
母の姑息な一言にまんまとのせられて、私は東京へ戻ってきた。
それまでの3年間、父母と離れて島根県のド田舎ですごしていたのだ。
当日になって、東京行きを断固拒否した幼い私が言われたのがこの言葉だ。
「動物園が、あるよ」
「んじゃ行く」
大好きな祖父母や叔父たちや幼なじみより、動物園をあっさりと選んだ自分。
たぶん、とりあえず、と思ったのだろう。
しかし『とりあえず』なんてことはまったくなかった。ぜんぜんとりあえずじゃなかった。ハメられたと気付いたのは、それから少し、あとだ。
仕方ないので私は、やけくそのように、動物園へ行きまくったし多分今も行きまくっています。
動かないトリは必殺仕掛けトリだった(DPZ)より
夜の動物園を取材したとき、わたしはまえがきでこんなことを書きました。
ハシビロコウの記事では、こんどはあとがきに感想文として異例の長文で「動物園に、行こう」と提唱しています。そんなわたしなのに、4年くらい前でしょうか、あることを境にして「二度と動物園には行かないぞ」と心に決めたのでした。これは今後覆されることのない決め事だと思ってきましたが、今日、ある記事を読んで(これはグラつくかもしれないぞ……)と動揺しているところです。
息子は成人しましたからあとは自由ですが、もしわたしに甥や孫ができた時、動物園に行かずして「動物のすばらしさ」や「命の尊さ」、そして動物たちを取り巻く環境や人間のエゴなどを教えることができるのか。もちろんそれは可能だと思いますが、はたしてそれでいいのか。わたしが小さい頃、そして息子が小さい頃、存分に楽しんで多分学んだあの動物園に孫たちを連れて行かないという選択をわたしの身勝手でとるのか。……と、ちょっとそんなまだ現実的でないことを考えてしまいました。うー。
神戸動物園より
旭山動物園の園長、坂東 元さんのお話(柿次郎さんによるインタビュー)。今も動機がしています。坂東さんは、元園長で現在は名誉園長である小菅 正夫さんの考え方を少なからず継承されていらっしゃるとは思いますが、お二方に共通するのは『覚悟』ではないでしょうか。
これはもう、そんじょそこらの『覚悟』ではなくて、過言かもしれませんが命がけのようにもわたしの目には見えるのです。日々「命」について考え、向き合っていくことを1秒たりとも忘れてはいないような、やさしくて強靭な覚悟を坂東さんはお持ちだと思いました。だってこの眼光見てくださいよ、まっすぐで力強くて、微動だにしないような、凝視されたら身動きできなくなるような目をしていらっしゃると思いませんか? これ、睨み合いだったらデューク・東郷(ゴルゴ31)も敗北するとわたしは思います。
氏、曰く、
では本日のTwitterにスルリと移行します。
2017/5/26
午後4時くらいに、いつも喫煙所に来てビール開けて飲んでる人が今日は電話してたんだけど「今どこ? 部長がスーツ届けてくれって言ってるけど行ける? パチンコ屋にいるって。んじゃ頼むわ」って言ってて、午後4時にビール飲む社員とパチンコする部長…。いったいどんな会社なんだ。うらやましい。
独特な家具やアクセサリーを作っているイタリア、qeeboo(studio job's)の新作。シャークの傘立て、スカルの鉢など。
www.designboom.com/design/studio-… こちらで購入も可能
www.designboom.com/shop/store/qee… pic.twitter.com/tJJ80znn6W